安倍元首相のSPが銃撃を防げなかった理由|日本のSPは無能なのか?

安倍晋三元首相が、奈良県で演説中に銃撃されるという衝撃的なニュースが。

犯人は3~4メートル背後から散弾銃を2発放ち、左胸2発と首の後ろにも着弾したという。

散弾銃の実物の写真も出回っていますが、拳銃と違ってサイズが大きいので、

持ち歩いていたりケースなどから取り出して発砲準備しているところに気づいて抑えることもできたのではないでしょうか。

安倍さんについていたSPは一体何をしていたのか。優秀なSPでも防げなかった事件なのか。日本のSPは無能なのかなどについてまとめました。

もくじ

安倍元首相銃撃事件|SPは何人いてどこに配置されていた?

安倍元首相が銃撃される前の、演説していたときのお写真がこちらです。

白のワイシャツに黒のスーツを着ているのがSPだと思われますが、現場には10人ほどいたとみられます。

他にも報道陣や街頭演説の関係者も黒スーツを着ているので見分けがつきにくいですが…。

安倍元首相を守る人が10人くらいいたということですね。

安倍元首相への銃撃をSPが防げなかった理由は?

SPが全員同じ方向を見ていた?

発砲の直前、SPはみんな同じ方向を見ており、安倍さんの背後へのマークが薄かったように見えます。

聴衆がたくさんいる場所を注視するのは当然ですが、背後にほぼ誰も気を配ってなかったのはミスではないでしょうか。

SPの配置が良くなかった?

また、多くのSPがガードレールの”内側”に配置されており、

すぐに制圧しに行けないポジショニングになっていたこと。

また自民党の複数の幟(のぼり)が風になびいていて視界を邪魔していました。

それもSPが背後の銃撃犯に気づくのが遅れた原因ではないでしょうか。

SPに気の緩みがあった?

こればかりはSPに聞いてみないと分かりませんが、

どうせ大した襲撃事件なんて起こらないとタカを括って気が緩んでいたのではないでしょうか。

日本は世界的にみて治安の良い国ですし、銃の規制も厳しく、暴力団同士以外で銃撃事件などめったに起こりません。

1990年に長崎市で市長が右翼団体の一員に市役所前で銃撃されたこと。

2007年にも長崎市では市長が演説の後に暴力団組員に銃撃され死亡されましたが、

あとは自宅を襲撃されるパターンが多く、演説中に襲われるなんてケースはほとんどありません。

首相が殺害されたケースは、

1932年の五・一五事件や、1921年の原敬暗殺事件。1930年の浜口雄幸銃撃事件

また大きなクーデター未遂として1936年の二・二六事件などは歴史の教科書に載るほど有名ですが、

それから100年近くは首相や内閣の人間が殺されるような事件は起きていません。

そういうこともあり、

SPは仕事としては気を引き締めつつも、「大した襲撃事件なんてどうせ起こらない」といった慢心が心のどこかにあったのではないでしょうか。

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