ディーン・フジオカ、芸能活動20周年「奇跡の連続」 放浪旅中にスカウト、そして朝ドラ五代役が「大きな転機に」 のポイントをまとめてみた


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ディーン・フジオカ、20周年の軌跡と今後の展望

もくじ

俳優・歌手 ディーン・フジオカの20年

俳優で歌手のディーン・フジオカ。彼が2004年に香港で芸能活動をスタートさせてから、今年でちょうど20年が経ちました。2013年から日本での活動を本格化させてからも11年が経過し、日本国内だけでなく海外でも活躍を続けています。最近では、Netflix台湾ドラマ『次の被害者』シーズン2で、検察官の張耿浩(チャン・ゲェンハウ)役を全編中国語で熱演。そして、同ドラマのエンディングテーマ「In Truth」を6月28日に配信開始しました。この曲は台湾での数々の思い出を蘇らせるものでもあるということです。台湾は、ディーンが俳優として注目を集めるきっかけとなった場所。彼にとって台湾での撮影は「俳優人生の初心を思い出した」と言います。

ディーン・フジオカ 撮影:辰根東醐

モデルから俳優への転身

ディーン・フジオカのキャリアは、多岐にわたる国と地域での経験から成り立っています。2005年、香港映画『八月の物語』で俳優デビューを果たし、その後、台湾で数々のドラマや映画に出演。『次の被害者』シーズン2で再び台湾の連続ドラマに出演し、「原点に戻った気持ちになった」と彼は語ります。

「この10年、主に日本で活動しながらいろいろな経験を積みました。そして、再び台湾に戻り、以前は出られなかったような作品に参加し、全編中国語という環境で役を演じることは非常に刺激的でした。ただ、『もともとここでやっていたんだな』とも感じました。」

台湾は“ホーム”

台湾はディーンにとって特別な場所です。「過去に共演したスタッフや俳優がいて、まるで故郷に帰ってきたような感じがしました。このような国籍を持たない国で、いまだに人々と強い繋がりを維持できていることは、本当に幸運だと改めて感じました。」

香港での活動とその後

ディーンは当時の香港での生活も振り返ります。「香港ではファッション、モデルの仕事をしていて、2週間に1回は異なる国に行く生活をしていました。中国大陸や東南アジア、ヨーロッパなどさまざまな場所に行きました。その後、台湾に拠点を移し、広い中華圏で有名な番組に出演させてもらい、アジア以外の国に行っても『台湾のあの人だ』と言われる経験をしました。」

日本での大ブレイク

2013年に日本で俳優としても歌手としてもデビューし、2015年にNHK連続テレビ小説『あさが来た』で五代友厚役を演じたことが転機となり、彼は日本で大ブレイクしました。これにより、日本国内からのオファーが殺到し、日本での活動が本格化しました。しかし、当初は日本を拠点にする計画はなかったと言います。「日本でも仕事はしたかったですが、日本に住む気はなかったので、仕事の機会があったら呼んでくださいという感じで、日本での仕事を始めた頃は、仕事が入ったら日本のホテルに泊まり、終わったら台北やジャカルタに戻るという生活でした。」

新たなスタート

『あさが来た』の撮影が終わり、TBS系ドラマ『ダメな私に恋してください』のオファーが来たタイミングで、彼は初めて東京に自分の家を構えるようになりました。「それが2016年頃ですが、そうしないとスケジュールが回らなくなって。そこからは壮絶な日々でした(笑)。」と語り、忙しい日々を振り返ります。「それでもオファーをいただけるのはありがたいことでした。スケジュールに収まらないほどの貴重な経験をさせてもらったと思います。」と微笑みます。

ディーン・フジオカは、これからもグローバルな活動を続けていくことでしょう。彼の20年のキャリアとその情熱に注目が集まる中、私たちも次なるステージでの彼の活躍を楽しみにしています。

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