早田ひな発言で注目の「特攻資料館」とは 23年には隊員描いた映画も公開、若者らも足運ぶ: J-CAST ニュースのポイントをまとめてみた


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卓球選手の早田ひな(24)がパリ五輪後の会見で「生きていること、卓球ができていることのありがたみを感じるために」訪れたい場所として挙げた「鹿児島の特攻資料館」に注目が集まっている。これは南九州市にある知覧特攻平和会館を指し、2024年7月から同会館で特攻隊員の遺書や遺影約6000点が展示されている。特に四宮徹少佐の遺書が展示されており、「純真無邪気」と表現される特攻隊員の若さとその死の痛ましさが強調されている。知覧平和会館は悲惨な戦争の再発を防ぐために1987年に開館された施設だ。

卓球選手早田ひな、訪れたい場所として知覧特攻平和会館を挙げる

「生きていること、卓球ができていることは、当たり前じゃないのを感じたい」。
こう語ったのは、パリ五輪で卓球女子団体で銀メダル、シングルスで銅メダルを獲得した早田ひな選手(24)です。彼女が訪れたい場所として挙げた「鹿児島の特攻資料館」に注目が集まりました。そこで今回は、早田選手が訪れたいと語った「知覧特攻平和会館」について詳しく紹介します。

もくじ

知覧特攻平和会館とは

南九州市内に位置する「知覧特攻平和会館」は、一般的な観光名所とは一線を画した場所です。この会館は、敵艦に対して飛行機ごと体当たりするという悲惨な戦争の歴史を伝えるために設立されました。運営は南九州市が行っており、1987年に開館しました。知覧地区は旧陸軍の飛行場が建設されており、特攻基地としても知られています。特攻で戦死した隊員のうち、1036人のうち439人がここから出撃しました。館内には隊員の遺影や遺書など約6000点が展示されており、語り部による講話も行われています。

早田ひな選手(羽田空港で行われた出発セレモニーで撮影)

知覧特攻平和会館

隊員の遺影や遺書などの展示

知覧特攻平和会館では、多くの遺影や遺書が展示されています。その中には、特攻隊員四宮徹少佐の遺書も含まれています。

「只今より出撃致します。実に喜び勇んで居ります」

これは四宮少佐が母親と兄に宛てた遺書の一部であり、「純真無邪気」と述べています。彼がわくわくした小学校時代の遠足を思い出しながら書いたこれらの言葉は、一層その死の悲しみを引き立てます。

2024年7月19日から始まったこの企画展では、特攻隊員としての彼の遺書が展示されています。この遺書は「決意とか覚悟とか云ふ様な、こだわりは少しもなく、本当に全員、純真無邪気です」とも書かれており、その無邪気さが一層、彼の悲劇的な結末を感じさせます。

早田ひなの思い

早田選手が8月13日の帰国会見で、「鹿児島の特攻資料館に行きたい」と語りました。彼女が伝えたかったのは、日々の生活や卓球ができることが当たり前ではないという認識を深めることの大切さです。

知覧特攻平和会館は、戦争の悲惨さとともに、平和の尊さを教えてくれる場として、多くの人々に訪れられています。特に若い世代にとって、この場所で感じることは非常に大切です。早田選手もその一員として、歴史の教訓を胸に抱きながら、卓球やその他の日常生活に向き合うことでしょう。


故郷の鹿児島を訪れたいと公言した早田選手の発言によって、「知覧特攻平和会館」に対する関心が高まりました。生きていること、何かに打ち込むことの大切さを再認識するための場所として、この会館はこれからも多くの人々に感動と平和の大切さを伝えることでしょう。

最後に、この特攻隊員の犠牲を決して無駄にしないためにも、私たちは平和のために何ができるかを考える必要があります。戦争の記憶を風化させず、次世代に伝えていくことが、未来の平和につながるのです。


この記事を通じて、特攻の歴史とそれを継承するための知覧特攻平和会館の役割について理解を深めていただけたら幸いです。そして、今自分が享受している平和のありがたさを再認識し、これからの生活や活動に役立てていただければと思います。

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