【悼む】高石ともやさん 60代で演奏も“進化“ 40余年追いかけ見えた包み込む優しさ – おくやみ : 日刊スポーツのポイントをまとめてみた

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伝説のフォークシンガー高石ともや、逝去 ── その人生と音楽の軌跡

高石ともや(本名:尻石友也=しりいし・ともや)さんが、2023年8月17日午後3時30分、京都市内の病院で亡くなりました。享年82歳でした。彼は「関西フォークの旗手」として1960年代後半から日本のフォークソング界をけん引続け、多くのファンに愛された存在でした。

もくじ

高石ともやのライブとその思い出

高石ともやの名前を聞くと、数々のコンサートが思い浮かびます。京都・円山音楽堂での「宵々山コンサート」や「昼下がりコンサート」、大阪・サンケイホールでの「年忘れコンサート」などは、彼のファンにとって欠かせないイベントでした。特に大阪・サンケイホールでの「年忘れコンサート」は、一昨年が最後となりました。

ザ・ナターシャー・セブンのメンバーとともに披露した「四人羽織」は、ギター、バンジョー、ベースが絶妙に調和する演奏で、多くの観客を魅了しました。高石ともやは、ステージでの派手な演出を一切排除し、楽器と歌、コーラスだけにこだわるスタイルを貫きました。

新たな挑戦と進化

60年代にはフォークソングに対するアコースティックなアプローチを堅持していましたが、60代になってからは新たな挑戦を見せました。ギターのソロやブルーグラス・スタイルのリードを披露するようになり、その意欲的な姿勢に多くのファンが驚きました。ヒット曲には恵まれなかった時期もありましたが、彼のファンはいつも彼の歌に共感し、一体感を感じていました。

最後のライブとその声

高石ともやの声は81歳になっても変わらぬ鮮やかさを保っていました。2022年12月のサンケイホール・ブリーゼ公演が最後のライブとなり、彼のいつもの軽やかな足取りと艶のある声を聞くために多くのファンが訪れました。「これで最後なんて、もったいない」とファンは口々にその惜しさを漏らしました。

木田高介との出会いと友情

高石ともやの音楽的パートナーであった木田高介も彼の人生において重要な人物でした。1975年、木田がザ・ナターシャー・セブンのメンバーとして加わり、その音楽性を深めました。木田は伝説のロックバンド「ジャックス」を経て、かぐや姫「神田川」の編曲を手掛けるなど、音楽界で確固たる地位を築いていました。しかし、高石ともやという人間に惹かれて京都に移住し、草野球やランニング、海水浴といった日常生活をともに楽しみました。

逆境と挑戦

高石ともやの人生には逆風もありましたが、彼はフォークソングと自らの生活を融合させ、常に新しい挑戦を続けました。悲壮感や重圧を感じさせず、軽やかな笑顔と共にフォークソングを追求しました。70代の頃、足をケガして松葉づえをつくことになった際も、その痛みを感じさせず、笑顔で取材に応じていました。

最後に

高石ともやさんの逝去により、日本のフォークソング界は大きな柱を失いました。しかし、彼の音楽は今も生き続け、多くのファンによって歌い継がれています。彼の人生と音楽は、私たちに多くのインスピレーションを与えてくれました。

高石ともやさん、心からの感謝と共に、どうか安らかにお休みください。

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