音楽業界の舞台裏で活躍する須藤敏文氏のストーリー
イントロダクション
今回の「Musicman’s RELAY」はTYMS PROJECTの青木しんさんからの紹介で、株式会社ダダミュージック代表取締役副社長の須藤敏文さんをお迎えします。仕事の傍らバンド活動を続け、最終的には著名なアーティスト布袋寅泰のマネージメントに関わることとなった須藤さん。その波乱万丈なキャリアについてお話を伺いました。インタビューは2024年4月11日にMusicman発行人の屋代卓也氏と編集長の榎本幹朗氏によって行われました。
バンドSOULSBERRYでメジャーデビューも芽が出ず職人の道へ
メジャーデビューから現実の洗礼
須藤さんは小樽在住時代にSOULSBERRYというバンドでエイベックスから2000年にメジャーデビューしました。しかし、22歳で東京に上京した後の生活は厳しく、ライブやレコーディングのスケジュールが詰まり、バイトをする時間もなかったそうです。事務所からの給料は家賃や光熱費を差し引くとわずか3万円程度。3年間の試行錯誤の末、バンド活動は期待に応えられず終わってしまいました。
職業として選んだ「棚職人」
バンドが成功しなかった後、須藤さんは職人仕事に転じました。引っ越しや建築現場のバイトを経て、棚職人として本棚の製作に従事。大学の図書館で使うような特殊な棚を4年間作り続けました。
糟谷銑司氏の誘いから布袋寅泰のディレクターに
マネージメント会社への参加
29歳のとき、初めてマネージメントの仕事に関わった須藤さん。しかしその会社がうまくいかず、新たな道を模索していたところ、糟谷銑司氏から「40歳、50歳になった時にそのままでいいのか」と言われたことを契機に布袋寅泰のディレクター職に就くことを決意。糟谷氏の信頼と須藤さんの器用さが評価されました。
布袋寅泰との仕事
布袋寅泰との仕事は多岐にわたり、特に布袋さんのロンドン移住や独立の際には須藤さんも大きく関与しました。布袋さんの全てのアーティスト活動を日本からサポートし、彼の「世界に挑戦する」という夢を後押ししました。
布袋寅泰のロンドン移住&独立とともにダダミュージックへ
ロンドンでの挑戦
2012年、布袋さんの「ロンドンへ行って世界に挑戦したい」という夢を実現させるために独立し、ダダミュージックを設立。須藤さんも日本からサポートを続けました。イギリスのマネージメントと連携し、布袋さんのライブやツアーなどを推進していきました。
世界的なアーティストとの共演
布袋さんは国際的なアーティストと共演する機会も多く、須藤さんはそれをサポート。特にイギー・ポップやズッケロとの協力関係は、布袋さんの国際的な評価を一層高めることとなりました。
海外でできた仲間たちが財産
ヨーロッパツアーに同行
須藤さんは布袋さんのヨーロッパツアーにも同行し、現地でのマネージメントやサポートを行いました。この経験を通じて得た仲間たちは須藤さんにとって大きな財産となりました。
コミュニケーションの重要性
須藤さんは「嘘をつかないこと」「謝ること」の重要性を強調します。音楽業界で成功するためには、誠実なコミュニケーションが不可欠だと述べました。
働き続ける意義と将来の展望
須藤さんの視点
須藤さんは趣味を持つことがないほど仕事に打ち込んでいます。仕事そのものが楽しみであり、多くの仲間たちと一緒にクリエイティブな活動を続けています。彼にとって音楽業界の仕事は単なる職業ではなく、生きがいそのものです。
若い世代へのメッセージ
音楽業界を目指す若い世代に向けて、須藤さんは「嘘をつかず、しっかりと謝れる人になること」をアドバイス。真摯な姿勢で挑むことで、どの業界でも成功できると言葉を掛けます。
結論
須藤敏文さんのシーンは、バンド活動から職人生活、そして音楽マネージメントまで幅広く、どんな環境でも真摯に取り組む姿勢が割に立っています。布袋寅泰との信頼関係や海外での成功は、彼の誠実さと努力の賜物。音楽業界を目指す人々にとって須藤さんの経験と考え方は大きな示唆を与えることでしょう。