「きらりちゃん」こと村山輝星ちゃんが、今年の24時間テレビでトライアスロンに挑戦します。
実はもう何年もトライアスロンをやっている村山輝星ちゃんですが、
なぜ12歳(小6)である輝星ちゃんが過酷なスポーツであるトライアスロンを、ずっとやっているのか。
それは、輝星ちゃんが2歳のときに亡くなった父親・浩一さんの
「(輝星が)小学生に上がったらトライアスロンに挑戦させてほしい」
という妻への遺言が大きく関係しているそうです。
ですが、なぜ輝星ちゃんの父親は「娘にトライアスロンをしてほしい」と最後に願ったのでしょうか。
今回はその部分について考えていきたいと思います。
村山輝星の父親は元トライアスロン選手!死因は?
まずはじめに、村山輝星ちゃんの父親がどんな人だったのか簡単にまとめました。
亡き父親の名前は村山浩一さん。
2010年4月生まれの輝星ちゃんが2歳の時に亡くなったので、
およそ10年前の2012年4月~2013年3月までの間に亡くなったということになります。
元トライアスロン選手兼トライアスロン協会の理事
村山輝星の父親・浩一さん
こちらは、2012年4月1日に開催された『第14回Lafuma青梅高水山トレイルラン』のリザルトになりますが、
亡くなられた直前の年齢が35歳となっています。
記録は『DNS(Do Not Start)』となっていて、つまり何らかの理由でスタートしなかったことになっていますが、
これが死因である病気の進行によるものでは?と言われています。
他にも『村山浩一』さんと『トライアスロン』で検索すると、
参加したレースや審判長を務めたレースなどの記録がいくつか出てきます。
村山浩一さんが審判長を務めた2001年のトライアスロン選手権
中野区トライアスロン協会の理事
東京都トライアスロン連合に地区代表として名を連ねる村山浩一
また、村山浩一さんは『中野区トライアスロン協会』の理事を務めていて、
かつ『東京都トライアスロン連合』に中野区から代表として議会に参加していました。
選手としてだけではなく、運営としてもトライアスロン界の発展に貢献してきました。
中野区の体育指導委員
村山輝星の父親・浩一さんは、中野区教育委員会から委嘱を受けた『体育指導委員』にも選ばれていて、
中野区民の体力向上や地域の活性化に貢献していました。
スイミングスクールの経営者
スイミングスクールを経営していた可能性が高いことも分かっています。
調べていた中で、東京都中野区にある『アトム・スイミングスクール』の経営者の名前が、村山浩一さんと同じであったからです。
トライアスロンとスイミングは関連性が高いですし、区内で同姓同名の人が何人もいるとは思えません。
この『アトム・スイミングスクール』は現在はもう営業されていないので、
村山浩一さんが亡くなった時点で閉じたのだと考えられますね。
死因は病気|具体的な病名は?
父親である村山浩一さんはなぜ35~36歳という若さで亡くなったのか。
死因について調べてみましたが、
『病気』で亡くなられたことは判明しましたが、具体的な病名までは明かされていません。
輝星ちゃんと違い、父親である浩一さんは一般人なので当然といえば当然です。
ただ、トライアスロンというエネルギー消費の激しいスポーツを長年やっていたことから、
生活習慣病(大腸がん、肺炎、脳卒中、心筋梗塞など)である可能性は低いと言えるでしょう。
トライアスロンの選手が煙草や過度な飲酒、乱れた食生活、運動不足や生活リズムの乱れがあるとは思えませんので。
もしかしたら今後、村山輝星ちゃんの口から父親の死因である病名が具体的に明かされるかもしれません。
村山輝星の父親が残した遺言と、その真意について
村山輝星ちゃんの父親が晩年に残した遺言は、娘が小学生になったらトライアスロンに挑戦させてほしいというものでした。
「輝星が小学生になったらトライアスロンに挑戦させてほしい」
父親のその遺言の通り、
輝星ちゃんは小学生に上がってからトライアスロンをはじめ多くのレースに出場しています。
輝星ちゃんのタイムは早いのか?順位は上の方なのか?
こちらは、昨年(2021年)秋に昭和記念公園で開催された『オールキッズトライアスロン大会』のリザルトですが…
ビ、ビリ…?!
DNSを除くとなんと順位は一番後ろ。しかもそこそこ離されてのビリのように思えます。
さらに2019年(2020年はコロナで中止)の当時小3だったときのリザルトは
おぅ…ビリ3…
DNSを除けば参加者総数46人中44位という結果でした。
こちらは2018年(当時小2)のリザルト。
やはりこちらもビリ3。
そして最後に2017年(当時小1)のリザルトです。
小1で初めて出場した大会では、23人中18位でした。(まさかの初出場が過去最高)
お世辞にもエリートとは言えませんが、重要なのはタイムでも順位でもありません。
父親の遺言をまっすぐに遂行していること。なにより笑顔で楽しそうに取り組んでいて、きちっと努力している姿が見えることが素晴らしいですね。
きっと天国のお父さんも喜んでいるでしょう。
なぜトライアスロンをさせたかった?
ようやく本題ともいえますが、
なぜ父親である浩一さんは、輝星ちゃんにトライアスロンに挑戦してほしかったのでしょうか?
残された時間が少ないと悟ったとき、家族に伝えたいことはたくさんあったと思いますが、
浩一さんは「小学生になったらトライアスロンに挑戦させてほしい」という遺言を残した。
自身がトライアスロンが好きだったから?
トライアスロンは人生を豊かにする素晴らしいアクテビティだから?
それもあるかもしれませんが、遺言として残したからにはもっと深い想いがある気がします。
父親が亡くなったのは、輝星ちゃんが2歳のとき。
まだ物心はついてなく、おそらく輝星ちゃんの記憶のなかに浩一さんはいません。
父親がいなくても父親の存在を身近に感じながら生きてほしいから。
父親がいないことでの寂しさを感じてほしくはなかったからではないでしょうか?私の個人的な想像ですが。
自分が大好きだったトライアスロンを娘が挑戦し続けることで、永遠と繋がっていられる。
それが目的でそのような遺言を残したのだと思われます。
村山輝星の母親・紘子さんも遺志を引き継ぐ
父親・浩一さんの遺志を受け継いだのは輝星ちゃんだけではありません。
母親・紘子さんも遺志を受け継ぎました。
村山輝星ちゃんの母親・紘子さん
紘子さんはその後、中野区トライアスロン協会の理事長に就任。
これは生前の浩一さんが務めていたものです。
さらに中野区の代表として、東京都トライアスロン連合の議会にも出席しています。
これも生前の浩一さんがやっていたことですね。
選手としてか、趣味としてか、どちらかは分かりませんが写真からレースに参加経験があるのは分かりますね。