EXITの兼近大樹さんの幼少期は、母子家庭で極貧生活だったことはテレビで明かしています。
父と母は離婚。
兼近大樹さんと妹を、母・照美さんが女手一つで育て上げました。
今回は、
母・照美さんの愛情深いエピソードや、兼近大樹さんの母思いな性格についてまとめていきます。
兼近大樹の母親は照美さん!年齢はいくつ?
1991年5月11日。
兼近大樹さんは、北海道札幌市北区に4人兄弟の次男として生まれました。
兄・祐輝さん
姉・綾乃さん
次男・大樹さん
妹・雪乃さん
父親は勇治さんといいますが、会社が倒産した上に趣味にお金を使い過ぎるなど性格に問題があり、
大樹さんが中学の時に離婚してしまいます。
「お父さんは建設業の社長をしていたけど、途中でEXIT(倒産)しちゃった。中学上がってすぐに両親がそれぞれNew Worldに走り出す(離婚)ということが起きて」
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/07/18/kiji/20190718s00041000392000c.html
家族は分断されてしまい、
母親・照美さんは大樹さんと妹・雪乃さんを連れて出ていきました。
母・照美さんの年齢は?
兼近大樹と母・照美さん
兼近大樹さんの母親・照美さんの年齢は公開されていません。
ただ、父親・勇治さんの年齢が55歳だと分かっていて、歳の差婚ではなさそうなことを考えると、
母親・照美さんの年齢は50代だと推測できます。
兼近大樹の母親・照美さんの愛情がスゴイ!
兼近大樹さんはテレビで、母子家庭で極貧生活だったエピソードを話しています。
建設会社の社長だった父親が倒産し、さらに趣味だったカブトムシ・クワガタの飼育に月30万円以上も使っていたことから、貯金は豊富じゃなかった。
収入は途絶え、家族は崩壊。
兄・祐輝さんと姉・綾乃さんは父親に、
大樹さんと妹・雪乃さんは母親についていくことになり、バラバラになってしまいました。
女手一つで2人の子を育てる
母親・照美さんは必死に生活費を稼ぎながら、2人の子どもを育て上げましたが、当然裕福な家庭とはいきませんでした。
兼近大樹さんによると、
ティッシュにマヨネーズをかけて食べて空腹をしのいでいたり、
近所や友達の家を回って「ご飯を食べさせてもらえるまで帰らない」みたいなことをやっていたそうです。
当時住んでいた家は、社会科見学で見た屯田兵の家みたいだったと(笑)
屯田兵屋
兼近は当時住んでいた家について「小学校の時に社会科見学で見た屯田兵の家とほとんど同じ。ダメージ入れてチャラついていた」と説明したが、照美さんの明るさによって「楽しく貧乏をかじらせてもらっていた。ハッピーチャラ貧乏だった」と笑顔で回想した。
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/07/18/kiji/20190718s00041000392000c.html
誕生日ケーキも買ってもらえず、姉から「夜空の星がロウソクだよ」と言われ、夜空の星に向かって息を吹きかけたことも、今となってはいい思い出だと語っていました。
スナックと工場勤務を掛け持ち
母親・照美さんはスナックと町工場の掛け持ちで勤務していました。
パートを掛け持ちして生活費を稼ぐことがいかに大変なことか。
スナックではお酒をたくさん飲むため、泥酔してしまい大樹さんがおんぶして帰るみたいなことも。
身を粉にして働く母親・照美さんに限界が近づいていることを、
当時中学3年生だった大樹さんは察知していました。
兼近大樹の“嘘”に気付いていた
小学校のときから野球少年だった兼近大樹さん。
中学まで実力者で、強豪の高校から数多くのオファーがありました。
しかし野球を続ければ当然お金はかかるし、私立の名門に進学なんてしたら余計にです。
「俺がわがまま言っていい状態じゃないな。働かないと」
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/07/18/kiji/20190718s00041000392000c.html
そう思った大樹さんは
「野球への情熱が冷めた」
といって高校から野球部に入ることをやめました。
さらに「勉強もしたくない」と言って高校を中退。
朝は新聞配達、日中はとび職として働き、妹の学費を稼ぎながら母親を助けていました。
夜には札幌北高校の定時制に通っていましたが、それも中退しています。
本当は野球の情熱が冷めたわけではなく、
母親を助けるために「働く」ことを選んだ大樹さんですが、
そんな“嘘”を母・照美さんはすぐに察していました。
ライブのサプライズゲストとして照美さんが現れ、兼近への手紙を朗読。「“野球に対する情熱が冷めてきた”と言って働くことを選択しましたが、本当は家計を助けるためのウソだとすぐに分かりました。そんな気を使わせてしまってごめんなさい」と真実を告げた。
一方兼近大樹さんは、ウソがばれてないと思って
「まったく知らなかった。“俺の演技すげーだろ”としか思っていなかった」
のだそう。
兼近大樹が母親への感謝もスゴイ!
スゴイのは母親・照美さんの愛情だけではありません。
兼近大樹さんの母親への愛情や感謝もまたスゴイです。
中学のときは友達に内緒で新聞配達
兼近大樹さんが働き始めたのは、なんと中学の時。
極寒の北海道札幌市内で、早朝に新聞配達をしていました。
道路は雪が積もっていましたが、転倒して新聞を濡らすことはNGだったので、「スリップしない走り方」を編み出したんだとか。
しかし中学生でアルバイトしてる子なんて当然他にいませんし、貧しいことがコンプレックスだったため、友達には内緒で新聞配達をしていました。
野球部の主力として野球に打ち込みながらも、早朝には仕事し、働きづめの母親を助けていたのです。
毎日が『母の日』
親子の絆が強い兼近家ですが、
大樹さんは『母の日』にこれといって何かしないそうです。意外ですね!
その理由は、
「毎日が母の日」
「毎日感謝しているから、その日だけ特別に祝うのはおかしい」
とのこと。
兼近大樹の名言【4コマ】
今日は母の日ですが、EXIT兼近のお言葉をご査収ください。
こんな息子に育ってくれたら全母親が泣いてしまうって、、、 pic.twitter.com/Ckor8Hcjc0— ゆい (@kareshi_tabetai) May 12, 2019
これは確かに全母親が泣く…。いや母親じゃなくても十分泣けます。
スゴイのは大人になって感謝の気持ちが芽生えているわけではなく、
両親が離婚した中学のときからずっと感謝し、母親を助けるための行動をし続けていることです。
マンションをプレゼント
母・照美さんにマンションをプレゼントすることが夢だった兼近大樹さんは、
2021年8月にその夢を叶え、マンションを一括で購入しました。
場所や物件名は非公開ですが、生まれ育った札幌市内ではないでしょうか。
札幌市内で新築マンションを購入しようとすると相場は3,000万円くらいですが、
動画を見る感じだと大きくて綺麗なので、相場以上の価格だと思われます。
「大樹がいつ帰って来てもいいように」と大樹さんの部屋を用意していたり、
大樹さんがCM出演している企業の商品を使うなど、ここでも母・照美さんの愛情が感じられました。
兼近大樹の母親が24時間テレビに出演!感動のはずが…?
日本テレビの24時間テレビでチャリティーマラソンに抜擢された兼近大樹さん。
今年1月に倒れてしまった母親への親孝行もかねて今回のマラソンに挑戦し、
ゴールの武道館には、母親・照美さんが待っていました。
ゴールで大樹さんと母が再会するという、そんな感動の結末を誰もが期待していましたが
大樹さんがゴールしたとき武道館のステージに母・照美さんの姿はありませんでした。
これには視聴者も困惑。
「かねちーの母親どこ行った?」とネットで騒がれる事態になりました。
一番会いたかった母はどこいったの??居ないけど🤔😳 #兼近 母はどこ?
— ☻K☻ (@uncyokobo) August 28, 2022
兼近のお母さんはどこいったんだろう?
母親ひとりで育てられ、ゴールしたら母に会いたいって言ってたのに会えたの?— ☞あゆきゅん☻✴︎ (@aymi0509) August 28, 2022
なんかこれは『兼近母』がトレンド入りしそうなくらい、24時間テレビのラストがみんなの望みに反してたってことよね?
や、マジで兼近母どこ行ったん?
— 🍅ぶぅすか😈🧐🍈 (@buuuuusuka0527) August 28, 2022
当たり前ですね。
番組側も「兼近と母親が感動の再会をして終わる」というシナリオで進めていたはずなので、
そこに母・照美さんがいないとなると不自然な終わり方になります。
母・照美さんが激怒して帰っちゃった?
ネットでは「激怒して帰っちゃったのでは?」という声があります。
実は兼近大樹さんが一生懸命に走っている間、「感動の再会」というオチを決めるために、フリとして「兼近家の貧乏エピソード」をアナウンサーが叫びまくっていたんです。
それを近くで聞いていた母・照美さんは激怒して帰ってしまったと…。
兼近のお母さん来てるのに、不幸貧乏な過去をアピールするアナウンサーって、なんなん。。。
— 廣瀬徳経 (@cenbalo) August 28, 2022
兼近の母が出なかったの、走ってる時のアナウンサーの実況のせい?「家族のために好きだった野球も辞めた」とか「プリンは友達の家で初めて食べた」とか言われたら、そりゃ出れんよ。。。#24時間テレビ
— k (@k69961072) August 28, 2022
24時間マラソン走者の兼近の小さい頃のエピソードで、
「夕飯を出してもらえるまで友達の家でゲームをした」
「プリンは友達の家で初めて食べた」
「ユニフォームを買えず大好きな野球を辞めた」
みたいな話を兼近の母親も居るスタジオでアナウンサーが美談として語ってるんだけども、、、— すぐ被害者ヅラするめるてゃ(3/3) (@merutewakannai) August 28, 2022
兼近さんの母はゴール時どこにも居ないしりんたろーも後ろの方で小さくなってコンビでコメントも言えず。アナウンサー兼近の昔の貧乏エピソードをこれでもかってぐらいに叫んでたから母気悪くしてかえったんじゃないの #24時間TV
— はひ子 (@LbXi7) August 28, 2022
24時間テレビで兼近のガキの頃の貧乏エピソードをアナウンサーが叫んでるの見てさぶ過ぎて冷める pic.twitter.com/yJjDJ48obb
— 南🇦🇺マッチョな医学博士 (@drmaccho) August 28, 2022
こういったツイートは本当に多かったです。
確かに貧乏だったエピソードを近くで叫ばれて、
しかも高視聴率で全国に流れる24時間テレビでそれをやられたら、気分を害して当然です。
母・照美さんの体調が悪くなった?
またもう一つの説として、母・照美さんの体調が悪くなったことです。
今年はじめに倒れてしまっているので、猛暑のなか体力を使えば、体調が悪くなってしまうのも無理はありません。
誰もが「感動の再会」を期待する中、「体調を崩されて急遽帰りましたー!」では済まないので、
しれっと居なくなってごまかしながらオチをつけたのではないでしょうか。生放送なので。