第215回 株式会社テレビ朝日コンテンツ編成局 第1制作部 兼 ビジネスプロデュース局 イベントプロデュースセンター 利根川広毅氏【前半】のポイントをまとめてみた

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利根川広毅さんインタビュー:音楽番組制作の軌跡と情熱

もくじ

はじめに

今回の「Musicman’s RELAY」では、ダダミュージック 代表取締役副社長の須藤敏文さんのご紹介で、株式会社テレビ朝日コンテンツ編成局 第1制作部兼ビジネスプロデュース局イベントプロデュースセンターの利根川広毅さんにご登場いただきました。利根川さんは、日本テレビで数々の音楽番組の演出・プロデュースを手掛けた後、現在はテレビ朝日で活動中です。彼のキャリアと情熱について、詳細にお話を伺いました。

多くの1977年生まれの音楽業界人たち

須藤敏文さんとの出会い

利根川さんが初めて須藤さんと出会ったのは10年以上前、「Music Lovers」という番組のディレクターを務めていた頃です。その番組で布袋寅泰さんのゲスト出演を担当することになり、そのマネージャーが須藤さんでした。

THE MUSIC DAYのテーマ曲

「THE MUSIC DAY」の総合演出を担当した際、布袋寅泰さんにテーマ曲制作を依頼。利根川さんの提案に須藤さんが賛同し、ロンドンでの楽曲制作が実現しました。このプロジェクトを通じて、利根川さんと須藤さんは深い関係を築きました。

小さい頃から「人の逆をいきたい」と思っていた

幼少期からのエピソード

利根川さんは、千葉県の佐倉市で育ちました。父親は金属系の商社に勤め、母親は来生たかおさんのファンでした。彼の少年時代には家庭内に音楽を楽しむ雰囲気が少しだけあったようです。初めて聴いた音楽は母親が車でかけていた来生たかおさんの曲です。

音楽への目覚め

最初に好んで聴いたのは兄がレンタルで借りてきたCDやヴィヴァルディの「四季」でした。その後、BOØWYなどの音楽に魅了されるようになりましたが、特に音楽を職業にしようとは考えていませんでした。

学生時代の活動

高校時代からギターを始め、大学ではDJ活動に夢中になりました。音楽への興味はどんどん広がり、彼はターンテーブルとミキサーを手に入れて、大学からはDJを目指すようになりました。

「この仕事、僕もやりたい」親戚のツテで音楽番組の制作会社へ入社

就職活動とNHK理事との出会い

レコード会社の就職試験に失敗した利根川さんは、母親のいとこの紹介でNHK理事の親類に会いに行きます。その結果、NHKエンタープライズの福家菊雄さんとの繋がりが生まれました。

ブレーンボックスへの入社

福家菊雄さんからの紹介で、ブレーンボックスという音楽番組制作会社でバイトを始めた利根川さん。演歌の番組の制作現場で福家さんの仕事ぶりを見て、感銘を受けました。「この仕事、僕もやりたい」と強く思うようになり、正式に就職しました。

積極的に仕事をして2年目にはディレクターの最速出世

初任給と新たな環境

初任給での厳しい生活ながらも、利根川さんはブレーンボックスでの経験を大切にしました。AD(アシスタントディレクター)としての業務を続けながらも、先輩たちを追い抜けると確信し、積極的に仕事をこなしていきました。

ディレクターへの昇進

2年目で早くもディレクターに昇進した利根川さんは、NHKの音楽番組で数多くのアーティストと仕事をする機会を得ました。実力主義の厳しい世界で彼は自分の能力を証明し、多くの場数を踏みながら成長していきました。

終わりに

利根川広毅さんの音楽番組制作にかける情熱や、彼のキャリアの軌跡を通じて、音楽業界の裏側や実力主義の厳しさを垣間見ることができました。次回の「Musicman’s RELAY」では、さらなる詳細なエピソードをお届けします。お楽しみに!


私たちのインタビューはまだ続きます。詳しい内容は10月16日(水)に公開予定ですので、お楽しみに!

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