間寛平 20代で多額の借金、39歳で東京進出「明石家さんまちゃんに大変お世話になって、借金を返せるようになったんですよ」 のポイントをまとめてみた

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人生を振り返る:間寛平さんの苦悩と挑戦

間寛平さん

皆さま、こんにちは!今回は、放送作家・脚本家の小山薫堂さんとフリーアナウンサーの宇賀なつみさんがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「日本郵便 SUNDAY’S POST」に出演された、お笑い芸人の間寛平さんについてお話しします。

番組の中で、間寛平さんは自身の芸人人生や多額の借金といった苦しい経験、そしてその試練を乗り越えてきたエピソードを語ってくださいました。

もくじ

芸歴54年…とても苦しかった芸人人生

74歳となった今でも現役のお笑い芸人として活躍し、2022年2月には吉本新喜劇初のゼネラルマネージャー(GM)にも就任した間寛平さん。その芸人人生を振り返り、笑顔で「アヘアヘウヒハ」と持ちギャグを披露してくれました。

お笑い芸人への道は偶然の産物

間寛平さんが芸人になったきっかけには、さまざまな偶然が絡んでいました。19歳の頃、車の事故で入院していた際、ラジオを聴きながら「こんなのやってみたいなぁ」とつぶやいた一言が、友人を通じて吉本興業の社員とのつながりを生むことに。そこから、お笑いの世界へ足を踏み入れることになったのです。

若手芸人時代の苦労

最初はネタもなく、主に先輩芸人の食事の世話や雑務に追われる日々。「嫌で辞めようかな」という思いも芽生えていたそうです。しかし、木村進さんとの出会いが退所を踏みとどまるきっかけとなりました。「新喜劇を俺らで盛り上げよう!」と2人で先輩芸人たちに負けじと頑張った結果、23歳でダブル座長、24歳で座長に任命されます。

多額の借金とその返済

見る人の保証人として「歩くハンコ屋」と呼ばれた青春時代。先輩芸人が逃げるたびに自分が借金を返す羽目になり、自主制作した「アメマバッジ」が売れずに借金がさらに膨らんでしまいます。それでも、39歳で東京に進出し、明石家さんまさんの助けを借りて何とか借金を返済しました。

乗り越えた阪神・淡路大震災

借金返済が終わった矢先、阪神・淡路大震災で自宅が崩壊。最も辛かった時期には、「フェリーで淡路島を渡るとき、娘と甲板に立っている際に『放り込もうかな』と思った」と語ります。しかし、その時こそがどん底だったと振り返り、家族を守るために努力を続けました。

家族と神様に支えられて

間寛平さんは家族の力を頼りにし、「家族を守るのは俺しかいない」と奮闘しました。人を騙したり裏切ったりせず、正直に生きてきた結果、神様が見てくれていると信じ続けたそうです。

(左から)パーソナリティの小山薫堂さん、間寛平さん、宇賀なつみさん

番組概要

番組名: 日本郵便 SUNDAY’S POST
放送日時: 毎週日曜 15:00~15:50
パーソナリティ: 小山薫堂さん、宇賀なつみさん
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/post/

以上、間寛平さんの壮絶な芸人人生とその克服の物語をお送りしました。困難に立ち向かい、家族と共に努力し続けた寛平さんの姿勢に感銘を受けました。彼のように、私たちもどんな困難にも諦めずに立ち向かっていきましょう。

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